「足りない! 全っ然足りないわ!」
まどかは突然に叫ぶと、手を大きく振り上げて、握っていたパドルをフローリングに叩きつけた。深夜の一室でその音は大きく響き、しかしまたすぐに元の静けさを取りもどした。その落差によって自分の立てた騒音の大きさに気付いた彼女は、あわてて口をつぐむ。家族に聞かれていなければいいが。
床に転がったパドルは新しく買ったもので、合計十二本目になる。
重々しい光沢を放つそれは、突撃!となりの晩御飯を思わせる圧倒的なサイズと表面の部分にあしらわれた無数のトゲが印象的な、もはやパドルと呼ぶのはためらわれるほどの一品だ。常人なら一発受けただけで泡を吹いてもおかしくはないだろう。実際、これはまどか自身が吟味に吟味を重ねて破壊力に重きをおいて選んだものなので、期待感は今までより数段上だったのだが。
「こんな、こんな弱っちいのじゃ……ほんと、足りない」
やはり、満足には到底至らなかった。それほどまでにまどかの欲望は深く、尻は硬いのだ。
まどかがセルフスパンキングに目覚めたのは、高校に入学して一月ほど経ってからのことだった。
以前からそういった方面への興味は持っていたのだが、生まれてから一度も尻を叩かれたことのなかった彼女には相談できる身近な相手がおらず、ましてや「叩いてください」と頼み込む勇気なんてあるはずもなかった。なので、小・中学時代はどうすることもできず、平穏に退屈にもの足りない日々を過ごしてきた。
高校生になって、入学祝にと両親に買ってもらった携帯電話、つまりネット環境が彼女を本格的に目覚めさせた。
そこで様々な情報を得て、セルフスパンキングという存在を知った。
(自分で自分のお尻を叩くなんて……盲点だった!)
まどかは雷に打たれたような衝撃を覚えた。今まで誰かに叩いてもらいたいという欲求が先行していて、一番身近な存在に気付けなかったのだ。灯台下暗し、とはまさしくこのことだろう。
知ってしまったまどかは、即座に行動を開始した。なんといっても一人でできる、というのは大きい。誰かに叩いてもらうのは恥ずかしくてできそうになかったが、これなら気にすることはない。誰もいない場所ですれば、家族にばれる心配も全くないのだ。
しかしその直後、彼女は期待感いっぱいの笑顔から一転して絶望的な気分へと落ちてゆく。
全く、痛くない。
初めは平手でぺしぺしと叩いてみて、徐々に感触を確かめながら力を強めていったのだが、腕を限界まで振り上げて放った全力の一撃でさえも彼女には何も感じさせなかった。衣類が衝撃を無効化させているのではないかと下着を下ろしてみたり、自分の平手は物凄く非力なのではないかと手近にあった定規を使って試みたりと知恵を絞ってできる限りを尽くしてみたが、それらも全て徒労に終わり、最後に残ったのは彼女にとって最悪といえる結論だけだった。
わたしのお尻、めちゃくちゃ硬い。
確かに過去を振り返ってみても「尻が痛い」などと思ったことは一度もなかった気がするし、改めて自分の尻を触ってみても、出てくる感想はやはりまどかにとって喜ばしいものではなかった。
尻が硬いことと痛みを感じないこととが直接的に関係しているのかどうかは知識のないまどかに判るはずもなかったが、結果はあくまでも残酷で、彼女にとってはそれが全てだった。
それでも、まどかは諦めることなくセルフスパに挑み続けた。叩き方を研究し、道具を買い集め、あげくは基礎体力の向上にまで手をつけ始めた。もうすぐ高三になる彼女は、努力の成果として隠し切るのが厳しくなってきたほどに大量のパドル、ケイン類と、しなるような手首の動きと、更には引き締まった肉体をも手に入れたが、言ってしまえばそれだけで、彼女の最も望むものはいくら頑張っても遠く、姿さえ見せてはくれなかった。
――そして限界は訪れた。
一人の少女を壊れさせるには充分なほどの挫折を、彼女は味わってきたのだ。
もはや行動に意味などない、あったとしても、それは到底まともとは言えない。ただ彼女は唐突に思ったのだ。
「自分じゃどうにも出来なくて、他人にはとても言えない。だったら地球に頼るしかない!」
真理を得たつもりでいる彼女は、着替えるのも忘れて意気揚々と外に飛び出し、近くの公園まで歩を進めた。そこらの路地裏でも問題なかったが、出来ればちゃんとした土の上で試してみたかった。
公園はそれほど広くなく、深夜ということもあって人の気配はまるでなかった。街灯の光を浴びたブランコや滑り台が静寂と共に佇んでいる。
その中に足を踏み入れたまどかは、興奮抑えきれぬといった様子で辺りを見回し、入念に人が来ないことを確認した。一応、人に見られたら恥ずかしいという意識は残っているのだ。逆に言えば、見られさえしなければ問題ないとも思っているのだが。
やがて、準備完了、と小さく呟き、昂ぶる気持ちを少しずつ開放するようにゆっくりと息を吐いた彼女は、カッと目を見開くと吐いた息を今度は一気に吸い込み、渾身の力を脚に集めて月まで届けとばかりに思いっきり跳んだ。そして宙に上がった彼女は、両脚をたたんで三角座りをするように抱えこむ。
「――っ!」
一瞬の後、公園内の静寂はわずかに破られた。まどかの尻が地面とぶつかる、どっ、という音によって。
まどかは全身を抜ける衝撃に頭を揺られて数秒間ぼおっとして何も考えられなかった。心身ともに準備万端だったとはいえ、尻から地面に落ちるなんて経験はそうそうないために体が対応し切れなかったのだ。
痛みはその後にやってきた。
彼女は落下した時と同じ姿勢のままで「ううー」と唸りながら痛む箇所を両手で強く抑え、深夜の公園で一人呟く。
「んで…………」
痛みのあまり地面に横向きに倒れこみ、彼女は更に唸り続ける。地球に向かって呪詛を投げかけるように。
「なんで……腰……なの……」
硬い地面との衝突によって発生した衝撃は、当然の如く腰部に殺到した。予想外の事態に陥ったまどかは、様々な思考を全てふっとばして、パジャマ姿で冷たい土の上をごろごろ転がる。生地や髪に砂がつくことなど気にしていられない。とりあえず今は、やり様のない怒りと失望感と腰を襲う鈍痛で頭がいっぱいだ。
これで泣かない人がいたら会ってみたい。
涙で濡れた顔に砂粒をつけながらまどかは思った。
しばらくして腰の痛みもある程度治まったころ、まどかはようやく意味不明な思考から目を覚まし、緩んだネジが締めなおされた彼女は、そこでようやく尻の痛みが皆無であることに気付いた。
結果はプラスどころかゼロにすらならず、腰痛と最低な気分だけがマイナス要素として残されたのだった。
そして新たな挫折を味わった彼女は、いまだじわじわ痛む腰を両手で押さえ、半ばブリッジのような体勢で夜空を仰ぎ、己の行動の愚かしさを叫ぶ。
たった一言で、明確に。
「馬鹿か!」
まどかは突然に叫ぶと、手を大きく振り上げて、握っていたパドルをフローリングに叩きつけた。深夜の一室でその音は大きく響き、しかしまたすぐに元の静けさを取りもどした。その落差によって自分の立てた騒音の大きさに気付いた彼女は、あわてて口をつぐむ。家族に聞かれていなければいいが。
床に転がったパドルは新しく買ったもので、合計十二本目になる。
重々しい光沢を放つそれは、突撃!となりの晩御飯を思わせる圧倒的なサイズと表面の部分にあしらわれた無数のトゲが印象的な、もはやパドルと呼ぶのはためらわれるほどの一品だ。常人なら一発受けただけで泡を吹いてもおかしくはないだろう。実際、これはまどか自身が吟味に吟味を重ねて破壊力に重きをおいて選んだものなので、期待感は今までより数段上だったのだが。
「こんな、こんな弱っちいのじゃ……ほんと、足りない」
やはり、満足には到底至らなかった。それほどまでにまどかの欲望は深く、尻は硬いのだ。
まどかがセルフスパンキングに目覚めたのは、高校に入学して一月ほど経ってからのことだった。
以前からそういった方面への興味は持っていたのだが、生まれてから一度も尻を叩かれたことのなかった彼女には相談できる身近な相手がおらず、ましてや「叩いてください」と頼み込む勇気なんてあるはずもなかった。なので、小・中学時代はどうすることもできず、平穏に退屈にもの足りない日々を過ごしてきた。
高校生になって、入学祝にと両親に買ってもらった携帯電話、つまりネット環境が彼女を本格的に目覚めさせた。
そこで様々な情報を得て、セルフスパンキングという存在を知った。
(自分で自分のお尻を叩くなんて……盲点だった!)
まどかは雷に打たれたような衝撃を覚えた。今まで誰かに叩いてもらいたいという欲求が先行していて、一番身近な存在に気付けなかったのだ。灯台下暗し、とはまさしくこのことだろう。
知ってしまったまどかは、即座に行動を開始した。なんといっても一人でできる、というのは大きい。誰かに叩いてもらうのは恥ずかしくてできそうになかったが、これなら気にすることはない。誰もいない場所ですれば、家族にばれる心配も全くないのだ。
しかしその直後、彼女は期待感いっぱいの笑顔から一転して絶望的な気分へと落ちてゆく。
全く、痛くない。
初めは平手でぺしぺしと叩いてみて、徐々に感触を確かめながら力を強めていったのだが、腕を限界まで振り上げて放った全力の一撃でさえも彼女には何も感じさせなかった。衣類が衝撃を無効化させているのではないかと下着を下ろしてみたり、自分の平手は物凄く非力なのではないかと手近にあった定規を使って試みたりと知恵を絞ってできる限りを尽くしてみたが、それらも全て徒労に終わり、最後に残ったのは彼女にとって最悪といえる結論だけだった。
わたしのお尻、めちゃくちゃ硬い。
確かに過去を振り返ってみても「尻が痛い」などと思ったことは一度もなかった気がするし、改めて自分の尻を触ってみても、出てくる感想はやはりまどかにとって喜ばしいものではなかった。
尻が硬いことと痛みを感じないこととが直接的に関係しているのかどうかは知識のないまどかに判るはずもなかったが、結果はあくまでも残酷で、彼女にとってはそれが全てだった。
それでも、まどかは諦めることなくセルフスパに挑み続けた。叩き方を研究し、道具を買い集め、あげくは基礎体力の向上にまで手をつけ始めた。もうすぐ高三になる彼女は、努力の成果として隠し切るのが厳しくなってきたほどに大量のパドル、ケイン類と、しなるような手首の動きと、更には引き締まった肉体をも手に入れたが、言ってしまえばそれだけで、彼女の最も望むものはいくら頑張っても遠く、姿さえ見せてはくれなかった。
――そして限界は訪れた。
一人の少女を壊れさせるには充分なほどの挫折を、彼女は味わってきたのだ。
もはや行動に意味などない、あったとしても、それは到底まともとは言えない。ただ彼女は唐突に思ったのだ。
「自分じゃどうにも出来なくて、他人にはとても言えない。だったら地球に頼るしかない!」
真理を得たつもりでいる彼女は、着替えるのも忘れて意気揚々と外に飛び出し、近くの公園まで歩を進めた。そこらの路地裏でも問題なかったが、出来ればちゃんとした土の上で試してみたかった。
公園はそれほど広くなく、深夜ということもあって人の気配はまるでなかった。街灯の光を浴びたブランコや滑り台が静寂と共に佇んでいる。
その中に足を踏み入れたまどかは、興奮抑えきれぬといった様子で辺りを見回し、入念に人が来ないことを確認した。一応、人に見られたら恥ずかしいという意識は残っているのだ。逆に言えば、見られさえしなければ問題ないとも思っているのだが。
やがて、準備完了、と小さく呟き、昂ぶる気持ちを少しずつ開放するようにゆっくりと息を吐いた彼女は、カッと目を見開くと吐いた息を今度は一気に吸い込み、渾身の力を脚に集めて月まで届けとばかりに思いっきり跳んだ。そして宙に上がった彼女は、両脚をたたんで三角座りをするように抱えこむ。
「――っ!」
一瞬の後、公園内の静寂はわずかに破られた。まどかの尻が地面とぶつかる、どっ、という音によって。
まどかは全身を抜ける衝撃に頭を揺られて数秒間ぼおっとして何も考えられなかった。心身ともに準備万端だったとはいえ、尻から地面に落ちるなんて経験はそうそうないために体が対応し切れなかったのだ。
痛みはその後にやってきた。
彼女は落下した時と同じ姿勢のままで「ううー」と唸りながら痛む箇所を両手で強く抑え、深夜の公園で一人呟く。
「んで…………」
痛みのあまり地面に横向きに倒れこみ、彼女は更に唸り続ける。地球に向かって呪詛を投げかけるように。
「なんで……腰……なの……」
硬い地面との衝突によって発生した衝撃は、当然の如く腰部に殺到した。予想外の事態に陥ったまどかは、様々な思考を全てふっとばして、パジャマ姿で冷たい土の上をごろごろ転がる。生地や髪に砂がつくことなど気にしていられない。とりあえず今は、やり様のない怒りと失望感と腰を襲う鈍痛で頭がいっぱいだ。
これで泣かない人がいたら会ってみたい。
涙で濡れた顔に砂粒をつけながらまどかは思った。
しばらくして腰の痛みもある程度治まったころ、まどかはようやく意味不明な思考から目を覚まし、緩んだネジが締めなおされた彼女は、そこでようやく尻の痛みが皆無であることに気付いた。
結果はプラスどころかゼロにすらならず、腰痛と最低な気分だけがマイナス要素として残されたのだった。
そして新たな挫折を味わった彼女は、いまだじわじわ痛む腰を両手で押さえ、半ばブリッジのような体勢で夜空を仰ぎ、己の行動の愚かしさを叫ぶ。
たった一言で、明確に。
「馬鹿か!」
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