「ね、キミ、一人なんでしょ? お茶に、お茶飲みに行こうよ。そこに自販機あるからさ」
「で、でも……わたしは」
駅前の、人でごった返す広場。
真上に昇った太陽の下で、ここなら騒がしすぎるからベタなナンパを繰り広げても目立たないだろうと予測した変態風の男は、粘着質な口調でターゲットの少女に詰め寄っていた。
「ぼ、僕と缶コーヒーを啜りあおうよ、ね」
「ごめんなさい。わたし用事が……」
「じゃあ早飲み対決しよ。それなら時間とらせないから」
少女が気弱な態度を見せるのをいいことに、男はぐいぐいと顔を近づけて更にまくし立てる。握り締めて手汗をまとった五百円玉は、本日のナンパ費用だ。
「コーヒーは、おごるからさ。すぐそこだよ。行こうよ」
「……やめてください。離して……」
五百円玉を持っていないほうの手で少女を捕まえた男は、荒れた息を吐きながら強引に歩みを進めだした。このまま自販機まで引っ張り込みさえすれば後は何とでもなる、という魂胆である。犯罪者に限りなく近い思考だ。
「ほら、来てよ。早飲みしよ。負けても割り勘になるだけだから、損はしないよ」
「嫌……やめて」
男が少女を握る手に力を込めた。少女は痛そうに顔をゆがめ、心の中で叫んだ。
(助けて!)
だがそんな声を聞きつける者は当然おらず、広場を行き来する人々は無関心に男と少女のそばを通り過ぎる。誰もが二人のやり取りを風景の一部として捉えていた。
少女は悔しさに歯噛みした。友人との約束もあるのに、電車に乗らないといけないのに、こんなところで……。街は騒がしいはずなのに、彼女には凍りついているようにさえ見えた。
そして、ここではっきりと断れず、大声で助けを呼べない自分も……
と、その冷たい空気をぶち破るように、どこかから声が響いた。
「やめろおおお! 悪事は私が許さん!」
男は突然の大声に驚き、辺りをキョドキョド見回した。「悪事」という単語から自分を指しているのだとわかったところを見ると、どうやら悪いことをしているという自覚はあるようだ。
「貴様だ貴様、そこのリュックの男!」
「!」
声が左から聞こえてくることに気付いた男が割とすばやくそちらに振り向くと、そこには、人ごみに隠れながらも十分に目立つ服装をした一人の変な人が立っていた。
――変な人
まさしくそう呼ぶにふさわしい。
原色そのままの真っ赤な全身タイツに身を包み、頭部は同じく赤のマスクで覆い尽くしている。目や口を出す穴すら見当たらない顔面には、唯一黄金に輝く「S」の文字が大きく張り付いている。
まるで血液が人をかたどって動いているかのような気色悪さだ。
「少女よ! 今助けるぞ!」
少女には、あの赤い人物が自分を助けてくれる存在だなんて微塵も思えなかった。それどころか、背筋をピッと伸ばして腕を大きく振りながら近づいてくる姿は恐怖すら感じさせる。周囲の人々も危険を感じたのか、たっぷり三人分ほどの道を空けて流れてゆく。
いけない! このままでは今とは比べものにならないくらい酷い目にあわされる。
逃げないと!
男と少女、二人同時に思ったときには、もう遅かった。大股気味に歩いてきた謎の赤男は二人の前に立ちはだかり、見えない口からよく通る声を吐き出した。
「私は正義の戦士、スパレッド! 白昼堂々誘拐を企てる不届きな輩め。存分に仕置きをしてやる、覚悟しろ!」
「そ、そんな。僕は誘拐なんてしてない、ただお茶に誘っただけ」
「黙れっ!」
謎の男、スパレッドの怒声が空気を震わせる。言い訳は一切受け付けない体制だ。男は見事にひるまされ、二の句を継げなくなった。
「先ほど、貴様は無理やり彼女を自販機まで引きずり込もうとした。その証拠に、彼女は嫌がる声を上げていた。私は目も耳も良いのだ」
「……うう……」
全てを見られていた……。それを聞かされた男は、少女と五百円玉を握るそれぞれの手を力なく地に垂らした。アスファルトの地面に甲高い音が響く。
「罪を認めろ、青年。いま素直になっておけば、正義の一撃を受けるだけで済むぞ」
そう言うと、スパレッドは背中から人を殴るのに最適な長さの真紅の棒を取り出した。「ジャスティス・ロッド準備完了」と呟き、野球選手さながらの豪快な素振りを始める。
「……そんな……ただ、ナンパをしただけなのに」
シンプルな打撃用武器を目にした男は絶望的な表情になり、膝を地に落とした。
そして、そんな男の姿に対する同情心と、これから起こるであろう惨劇の目撃者になりたくないという気持ちとが混ざり合った少女は、震える声でスパレッドに話しかける。
「そ、そうですよ……いくらなんでも、それで殴るのは」
「黙れっ!!」
スパレッドは興奮状態に陥っているようで、少女の願いは怒号一発かき消された。
「このロッドで、人を蝕む悪の心を打ち砕く。それが……それが私の」
男のななめ後ろに立ったスパレッドは、大きくロッドを振りかぶり、膝立ち状態の男の尻に照準を合わせる。太陽の光に顔面のSがギラリと反射し、
「正義だあああああああああ!」
死ぬほど痛そうな音が鳴り響いた。少女は思わず目を瞑る。
「………………っ!」
男は白目をむいてアスファルトに倒れた。周囲には、見てみぬ振りをする大勢のほかに物珍しさから見物を決めこむ数名もいたのだが、彼ら彼女らは仕置きのえげつなさを目の当たりにしてついに逃げ出した。
男は、そのまま動かない。
「ふう……これで悪は潰えた。青年よ、もう乱暴な真似はやめておきたまえよ」
当然、返事はない。
「さて、では帰るとするか。…………ああ、そうだ。少女よ、怪我はないか」
「ひっ」
ほんの数分前に悪魔の裁きを行った男の声に、少女は身をすくめる。恐怖で言葉が出てこない。
「怖がることはない。ほら、悪い男は私が成敗した」
「…………」
「そういえば名前を聞いていなかったな。私はスパレッド、キミは?」
「…………」
「怖い目にあったのはわかるが、黙っていては私も困る」
そう言われても話せないのだからどうしようもない。少女は眼前の威圧的な存在に対して、うつむくことしか出来なかった。沈黙が続く。
やがて、スパレッドは一つため息をつくと、仕方がないといった感じで小さく呟いた。
「……ジャスティス・ロッド再準備」
ぐうっ、と持ったままになっていた必殺の武器を両手で力強く握りなおし、リプレイを見ているかのように先ほどと同じフォームの素振りを開始した。
「ひいっ」
この光景には、さすがに悲鳴が漏れる。少女は無理やりにでも逃げようと、固まった足を僅かに動かした。
しかし逃走はあえなく失敗。スパレッドは少女の二の腕の辺りを興奮気味に掴むと、演説をするように声を張り上げる。
「無視は! 無視はいかんぞ! 人を傷つける行為だ! 現に私も、いま、傷ついた! それはもちろん身体の怪我ではない! わかるか、心だ! 心が大いにえぐられた! よって執行!」
「いやー!」
少女の必死の叫びが駅前広場に響き渡る。ロッドは天高くに突き上げられ、後は振り下ろすのみの状態だ。
「くらえ! 正義の――」
「助けてー!」
……そこからの少女は、ほとんど意識を失った状態だった。
最後に耳に入ってきたのは、スパレッドの咆哮と、そしてかすかなサイレンの音。
あとは、自分の涙を吸い込んだ黒いアスファルトや赤い光を点して走り去るパトカーなどの映像が断片的に残っているだけだ。
気がつけば陽は傾いていて、彼女は自宅の前で立っていた。ここまでの経路は全く記憶にない。
まず思い出したのはすっぽかしてしまった友人との約束で、謝らないと、と家に上がるよりも早く携帯電話を取り出した。
(あの変な人、一体なんだったんだろう)
携帯を耳に当てながら、ふと思った。深くは考えなかった。
電話が繋がる。
「もしもし。……うん、ごめんね。ちょっと、いろいろあって……」
不意に、尻が痛んだ。今まで気付かなかったのが不思議なくらい強い痛みだった。
「で、でも……わたしは」
駅前の、人でごった返す広場。
真上に昇った太陽の下で、ここなら騒がしすぎるからベタなナンパを繰り広げても目立たないだろうと予測した変態風の男は、粘着質な口調でターゲットの少女に詰め寄っていた。
「ぼ、僕と缶コーヒーを啜りあおうよ、ね」
「ごめんなさい。わたし用事が……」
「じゃあ早飲み対決しよ。それなら時間とらせないから」
少女が気弱な態度を見せるのをいいことに、男はぐいぐいと顔を近づけて更にまくし立てる。握り締めて手汗をまとった五百円玉は、本日のナンパ費用だ。
「コーヒーは、おごるからさ。すぐそこだよ。行こうよ」
「……やめてください。離して……」
五百円玉を持っていないほうの手で少女を捕まえた男は、荒れた息を吐きながら強引に歩みを進めだした。このまま自販機まで引っ張り込みさえすれば後は何とでもなる、という魂胆である。犯罪者に限りなく近い思考だ。
「ほら、来てよ。早飲みしよ。負けても割り勘になるだけだから、損はしないよ」
「嫌……やめて」
男が少女を握る手に力を込めた。少女は痛そうに顔をゆがめ、心の中で叫んだ。
(助けて!)
だがそんな声を聞きつける者は当然おらず、広場を行き来する人々は無関心に男と少女のそばを通り過ぎる。誰もが二人のやり取りを風景の一部として捉えていた。
少女は悔しさに歯噛みした。友人との約束もあるのに、電車に乗らないといけないのに、こんなところで……。街は騒がしいはずなのに、彼女には凍りついているようにさえ見えた。
そして、ここではっきりと断れず、大声で助けを呼べない自分も……
と、その冷たい空気をぶち破るように、どこかから声が響いた。
「やめろおおお! 悪事は私が許さん!」
男は突然の大声に驚き、辺りをキョドキョド見回した。「悪事」という単語から自分を指しているのだとわかったところを見ると、どうやら悪いことをしているという自覚はあるようだ。
「貴様だ貴様、そこのリュックの男!」
「!」
声が左から聞こえてくることに気付いた男が割とすばやくそちらに振り向くと、そこには、人ごみに隠れながらも十分に目立つ服装をした一人の変な人が立っていた。
――変な人
まさしくそう呼ぶにふさわしい。
原色そのままの真っ赤な全身タイツに身を包み、頭部は同じく赤のマスクで覆い尽くしている。目や口を出す穴すら見当たらない顔面には、唯一黄金に輝く「S」の文字が大きく張り付いている。
まるで血液が人をかたどって動いているかのような気色悪さだ。
「少女よ! 今助けるぞ!」
少女には、あの赤い人物が自分を助けてくれる存在だなんて微塵も思えなかった。それどころか、背筋をピッと伸ばして腕を大きく振りながら近づいてくる姿は恐怖すら感じさせる。周囲の人々も危険を感じたのか、たっぷり三人分ほどの道を空けて流れてゆく。
いけない! このままでは今とは比べものにならないくらい酷い目にあわされる。
逃げないと!
男と少女、二人同時に思ったときには、もう遅かった。大股気味に歩いてきた謎の赤男は二人の前に立ちはだかり、見えない口からよく通る声を吐き出した。
「私は正義の戦士、スパレッド! 白昼堂々誘拐を企てる不届きな輩め。存分に仕置きをしてやる、覚悟しろ!」
「そ、そんな。僕は誘拐なんてしてない、ただお茶に誘っただけ」
「黙れっ!」
謎の男、スパレッドの怒声が空気を震わせる。言い訳は一切受け付けない体制だ。男は見事にひるまされ、二の句を継げなくなった。
「先ほど、貴様は無理やり彼女を自販機まで引きずり込もうとした。その証拠に、彼女は嫌がる声を上げていた。私は目も耳も良いのだ」
「……うう……」
全てを見られていた……。それを聞かされた男は、少女と五百円玉を握るそれぞれの手を力なく地に垂らした。アスファルトの地面に甲高い音が響く。
「罪を認めろ、青年。いま素直になっておけば、正義の一撃を受けるだけで済むぞ」
そう言うと、スパレッドは背中から人を殴るのに最適な長さの真紅の棒を取り出した。「ジャスティス・ロッド準備完了」と呟き、野球選手さながらの豪快な素振りを始める。
「……そんな……ただ、ナンパをしただけなのに」
シンプルな打撃用武器を目にした男は絶望的な表情になり、膝を地に落とした。
そして、そんな男の姿に対する同情心と、これから起こるであろう惨劇の目撃者になりたくないという気持ちとが混ざり合った少女は、震える声でスパレッドに話しかける。
「そ、そうですよ……いくらなんでも、それで殴るのは」
「黙れっ!!」
スパレッドは興奮状態に陥っているようで、少女の願いは怒号一発かき消された。
「このロッドで、人を蝕む悪の心を打ち砕く。それが……それが私の」
男のななめ後ろに立ったスパレッドは、大きくロッドを振りかぶり、膝立ち状態の男の尻に照準を合わせる。太陽の光に顔面のSがギラリと反射し、
「正義だあああああああああ!」
死ぬほど痛そうな音が鳴り響いた。少女は思わず目を瞑る。
「………………っ!」
男は白目をむいてアスファルトに倒れた。周囲には、見てみぬ振りをする大勢のほかに物珍しさから見物を決めこむ数名もいたのだが、彼ら彼女らは仕置きのえげつなさを目の当たりにしてついに逃げ出した。
男は、そのまま動かない。
「ふう……これで悪は潰えた。青年よ、もう乱暴な真似はやめておきたまえよ」
当然、返事はない。
「さて、では帰るとするか。…………ああ、そうだ。少女よ、怪我はないか」
「ひっ」
ほんの数分前に悪魔の裁きを行った男の声に、少女は身をすくめる。恐怖で言葉が出てこない。
「怖がることはない。ほら、悪い男は私が成敗した」
「…………」
「そういえば名前を聞いていなかったな。私はスパレッド、キミは?」
「…………」
「怖い目にあったのはわかるが、黙っていては私も困る」
そう言われても話せないのだからどうしようもない。少女は眼前の威圧的な存在に対して、うつむくことしか出来なかった。沈黙が続く。
やがて、スパレッドは一つため息をつくと、仕方がないといった感じで小さく呟いた。
「……ジャスティス・ロッド再準備」
ぐうっ、と持ったままになっていた必殺の武器を両手で力強く握りなおし、リプレイを見ているかのように先ほどと同じフォームの素振りを開始した。
「ひいっ」
この光景には、さすがに悲鳴が漏れる。少女は無理やりにでも逃げようと、固まった足を僅かに動かした。
しかし逃走はあえなく失敗。スパレッドは少女の二の腕の辺りを興奮気味に掴むと、演説をするように声を張り上げる。
「無視は! 無視はいかんぞ! 人を傷つける行為だ! 現に私も、いま、傷ついた! それはもちろん身体の怪我ではない! わかるか、心だ! 心が大いにえぐられた! よって執行!」
「いやー!」
少女の必死の叫びが駅前広場に響き渡る。ロッドは天高くに突き上げられ、後は振り下ろすのみの状態だ。
「くらえ! 正義の――」
「助けてー!」
……そこからの少女は、ほとんど意識を失った状態だった。
最後に耳に入ってきたのは、スパレッドの咆哮と、そしてかすかなサイレンの音。
あとは、自分の涙を吸い込んだ黒いアスファルトや赤い光を点して走り去るパトカーなどの映像が断片的に残っているだけだ。
気がつけば陽は傾いていて、彼女は自宅の前で立っていた。ここまでの経路は全く記憶にない。
まず思い出したのはすっぽかしてしまった友人との約束で、謝らないと、と家に上がるよりも早く携帯電話を取り出した。
(あの変な人、一体なんだったんだろう)
携帯を耳に当てながら、ふと思った。深くは考えなかった。
電話が繋がる。
「もしもし。……うん、ごめんね。ちょっと、いろいろあって……」
不意に、尻が痛んだ。今まで気付かなかったのが不思議なくらい強い痛みだった。
PR
トラックバック
トラックバックURL: